わくぐり祭の由来

風土記(ふどき)とは
和銅6年(713年)、中央官令に基づいて地方各国庁で筆録編述した報告公文書。その中の『備後国風土記』に、わくぐり祭の由来が見えます。
『備後国風土記』
武塔の神(スサノオの神)が旅をして備後国にさしかかり、そこに住んでいた蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来(こたんしょうらい)の兄弟に一夜の宿を乞うた。弟の巨旦は金持ちで大きな家を持っていたが宿を貸さなかった。兄の蘇民は貧しかったが粟飯をもってもてなした。何年かして武塔の神が再びこの地に来たとき「私は蘇民に御礼がしたいが、おまえは蘇民の子孫か」と問うた。蘇民が答えると神は「茅の輪を以て腰に着けよ」と告げた。その後疫病が流行し茅の輪を着けていない者は皆死んでしまった。神は「後の世に疫病があれば蘇民将来の子孫だと言いなさい。茅の輪をつけた人は免れるでしょう。」とおっしゃった。