今昔写真

神社周辺の古い写真が出てきました。昭和49年頃の写真だと思います。今昔を対比しながら昔を思い出してみました。上段の写真が現代(平成20年代)、下段が昭和49年頃の写真です。

北方面

【今】
このあたりはかつて塩田でした。神社の山は真ん中の赤い看板の向こうにかすかにこんもりと見えます。左側の鉄筋の建物が児島警察署。

【昔】
上の写真とほぼ同じ位置だと思います。真っ直ぐな道が神社の山に向かって延びています。塩田だったところが埋め立てられてきました。左にクレーンが見え、何やら建ち始めています。右の山の上に塔が見えますが、これは遊園地の展望塔。最初は小さな展望塔だったのがわかります。
この写真の右後方に中学校があります(宮司は昭和45年卒業)。中学校に通っている頃は塩田の名残がありました。

元浜

【今】
先ほどの写真を撮ったところから南に数百メートル移動して、神社の山に近付きました。両側にはガソリンスタンドや、飲食店、会社社屋が軒を連ねます。
緑色の高速道路案内看板の奥の山が神社の山です。

【昔】
道路の左右には何にも建物がありません。ここの住所は「元浜(もとはま)」。元々は浜だったんですね。奥の方(山すそ)には民家が見えます。このあたりもかつて塩田でした。
写真左(東の方角)にはたしか川が海に注ぎ、河口が開いていました。小さい頃にアサリやシャコを採った覚えがあります。

西方面1

【今】
山の西側から神社の山を見ています。カメラを構えたところは「クニフク印刷」という会社の前です。建物が新しくなったり、電柱がコンクリート製になったりと細かな違いはありますが、大きな変化はありません。
山すそがすっきりしています。以前は大きな松がたくさん生えていましたが、松食い虫のため、枯れてしまいました。

【昔】
建物が古びているのと、草が生い茂っているぐらいで大きな変化はありません。左の電柱のあたりに白い物がチラホラ。これは写真(ネガ)が古いためネガに「カビ」がはえているのです。

西方面2

【今】
昭和49年頃と一番大きな違いはこの地域です。真ん中に見えるのは瀬戸中央道児島インターチェンジ。本州と四国を結ぶ瀬戸大橋はこの左方向です。昭和63年に開通したこの道路は付近の景観を一変させました。山を削り、高速道路が通ります。開通した年の5月の連休は高速上も一般道路もすごい交通渋滞でした。

【昔】
まことにのんびりとした田園風景です。梅雨の頃には蛙の鳴き声のにぎやかなこと。
池の樋が抜かれ、小川に水が流れます。蛍も飛び交い、ザリガニ取りやフナ釣り、ごくありふれた田舎の風景でした。

神社駐車場

【今】
正面から神社に近付いていくと駐車場があります。現在はアスファルトで舗装され幅もかなりあります。大きな石の標柱は野崎氏奉納の標柱です。正面に見えるのが参道の石段。その奥に神門があります。

【昔】
その昔の参道。このころは駐車場は狭かったようです。あるいはなかったのかもしれません。舗装はなんとかされていたようです。今も昔も変わらないのは野崎氏奉納の標柱です。私(宮司)が子供の頃は舗装もされていなくて、雨が降ればぬかるみだった記憶があります。それにしても草の繁っていること。

随神門

【今】
随神門は平成3年に修理され屋根瓦が葺き替えられ、傷んだ部材は取り替えられました。
手前の石段は平成15年に据え直され歩きやすくなりました。昔は石段の下にあった「風調雨順」の標柱は、石段を登りきった左右に移設されています。

【昔】
昭和49年頃の石段は、一段一段が大きく高さもありました。若い人はいいのですが、お年寄りには歩きにくい、と言われていました。もっとも今の人たちはこの門の右横を車ですう~っと素通りしてお詣りしますから、関係ないかも。昔は松が多く生えていたのがわかります。

参道から南方面

【今】
写真がうすくて見にくいのですが、神門の前から南の方角を見ています。正面の山の上に見えるのはせとうち児島ホテル、その右は鷲羽山ハイランドという遊園地です。大きな観覧車や、垂直落下するアトラクション(ターボドロップ)が建っています。

【昔】
昭和49年頃は松の木があちこちに生えていました。正面の山の上には四角い建物(どういう施設か不明)、その右に展望塔とジェットコースター(この2つは今でも健在)。今はなくなりましたが小さな観覧車がありました。

境内東方面

【今】
境内から東の方角を望みます。玉垣で囲まれているところにかつては神輿庫がありました。平成3年に境内西側に建て替えましたので何もなくなり、瀬戸内海を一望できるようになりました。
正月には丁度夜間照明(写真右側のポール)のあたりから朝日が昇ります。ここはなかなかの絶景です。

【昔】
昭和49年頃にはこんな古ぼけた神輿庫が建っていました。中には秋祭りで巡幸する神輿が2基納められていました。
建物右に島影が見えます。これは瀬戸内海にある「堅場島」です。その形が鯨に似ているので通称「くじら島」と言われています。

拝殿

【今】
平成3年に完成した現在の拝殿です。昔の拝殿と規模の違いはありません。純粋なる木造建築。社寺建築の専門の方が設計しました。材料は「台桧」(台湾産のヒノキ)です。日本産桧は高くて予算内に収まることができませんでした。

【昔】
昔の拝殿です。全体が写っていなくて左右と上が欠けています。ご容赦を。木造、瓦葺きですがかなり傷んでおり、修理での再使用ができず、解体することになりました。平成元年のことです。
この建物は弘化2年(1845年)の建築であり、築後150年程経ていました。