本殿(ほんでん)
文化2年(1805年)の建築。入母屋平入千鳥破風(ちどりはふう) 向拝唐破風(こうはいからはふう) 総﨔造り銅板葺き 14平方メートル、屋根に千木、鰹木を載せる。鬼板の上に鳥衾、「八」をデザインした紋を付ける。軒の下は二重垂木、二手先の組み物、蛇腹支輪。柱には獅子、獏、手挟の彫刻。平成3年に大修理された。
拝殿(はいでん)
平成3年(1991年)6月完成。入母屋平入千鳥破風向拝唐破風 銅板葺き 93平方メートル。以前の建物は瓦葺きで弘化2年(1845年)の建築だった。傷みが激しかったため昭和63年(1988年)から3年をかけて本殿共々修造工事が行われた。
富田屋(姓:洲脇)奉納 灯籠2基
宝暦9年(1759年)富田屋伝兵衛・富田屋和兵衛・沖塩屋喜三郎・松本□右衛門・洲脇佐右衛門・松本弥兵衛・仙田佐助・大黒丸平太郎 奉納。富田屋(姓は洲脇)は江戸時代初期から中期にかけて阿津に塩田を開くとともに阿津の港を中心に活躍した回船業者。もと紀州熊野の豪族の出。塩田開発は3代目、伝右衛門に始まる。
神輿庫(みこしくら)
秋の例祭に氏子地区を巡幸する神輿2基を納める。平成3年に新築。以前は遙拝所の南側にあったが、規模を大きくしてこの場所に建てた。
建物右側は古札納所(こさつのうしょ)になっており、古い御神札(おふだ)や御守を返納する場所である。
随神門(ずいしんもん)
衣冠束帯(いかんそくたい)に剣と弓矢を身につけた武官姿の随神像を左右の部屋に置いた門。三間一戸の八脚門(さんげんいっこのやつあしもん)の形を持つ。2つの部屋の間を通り抜けて参拝する。随身とも書く。平成3年に修理。
※衣冠束帯・・・公家の正装。
野崎武吉郎(1848~1925)奉納 標柱(しめばしら)
明治36年(1903年)奉納。高さ4.5メートル、幅44センチ、厚さ33センチ。
右(東側)の柱に「天壌無窮順帝之則」、左(西側)の柱に「春秋匪懈降民之哀」の碑文を刻む。碑文は明治を代表する書家、巌谷修の揮毫による。野崎武吉郎は野崎武左衛門の孫で貴族院議員であった。
「天壌は窮り無く、帝に順うの則あり 春秋には懈るに匪ず、民に降するの哀あり」
野崎については「野崎家塩業歴史館」へ。
一の鳥居
地神様(じじんさま)
土地の神・農の神として主に農業に従事する人々によって守り神として信仰され祀られてきたもの。五角柱の木に以下の五柱の神名を刻む。
1.天照大神(あまてらすおおみかみ)・・・神々の最高神。五穀の祖神。
2.倉稲魂命(うかのみたまのみこと)・・・食物の神で、特に稲の霊。
3.埴安媛命(はにやすひめのみこと)・・・土を司る神。
4.大己貴命(おおなむちのみこと)・・・国土造成の神であり農耕の神。
5.少彦名命(すくなひこなのみこと)・・・国土造成の神であり農耕の神。大己貴命と一対。
遙拝所(ようはいしょ)
- 境内末社(境内にある神社)
塩竃神社(しおがまじんじゃ)
金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
素盞嗚神社(すさのおじんじゃ)
明治神宮
兵主神社(ひょうずじんじゃ)
塞神社(さいじんじゃ)
御祭神 衝立船戸神(つきたつふなどのかみ)・八衢比古命(やちまたひこのみこと)・八衢比売命(やちまたひめのみこと)・猿田彦神(さるたひこのかみ)
縁結び、安産、夫婦円満、女性が参れば良縁間違いなしと言われる。邪気の侵入を防ぎ各町のはずれに道祖神として、石碑が建てられ祀られている場合もある。