菅原道真公は「学問の神様」です。受験シーズンには「勧学祭」を行い、境内で搗かれた餅がふるまわれます。
天神宮(てんじんぐう)
鎮座地 倉敷市児島味野2丁目5−3
御祭神 菅原道真公(すがわらのみちざね)
由緒 創建は応永14年(1407)といわれる。岩崎(巌崎)五郎左衛門なる者が阿波国三好郡より菅原道真公の神霊を奉戴し舟で尾首坂(字疫神上)というところに着きました。(舟が着いたところをこののち天神川というようになりました)そこに神霊をお祀りしましたが、その後文明4年(1472)に現在の鎮座地である柘榴浜(ざくろはま・磯辺)に移した、といわれています。
兼務社(けんむしゃ:このページ2社の宮司も兼ねています)
「兼務社」ではなく新庄八幡宮の「境外末社」なのですが・・・
海神社(かいじんじゃ)
鎮座地 倉敷市大畠1丁目21-17
御祭神 綿津見神(わたつみのかみ)
由緒 残念ながら由緒の詳細は不明です。大畠(おばたけ)の氏神様として崇敬されています。
平成20年の秋祭りは10月25日・26日です。
下左 拝殿から瀬戸大橋を撮影してみました。
下右 同じアングルで夜撮影した瀬戸大橋です。
ライトアップされた橋脚の上にお月様が出ています。尚、右上の光は拝殿軒下に吊された「提灯」です。
平成14年例祭(夏祭) 7月20日・21日
平成14年の例祭風景です。この神社は下津井瀬戸大橋のたもとに鎮座しています。夏祭が例祭でおみこしの渡御があります。神社を出たおみこしは町内を巡幸し、下津井瀬戸大橋の橋脚の下で練ります。
(以前から練っていた場所に昭和63年、橋が架かってしまいました)
平成21年の勧学祭は未定です。
「児島
おかみさん会」主催の「いい日いい味ひなめぐり」のイベントに参加し、境内で餅つきをします。誰でも参加して餅を搗くことができます。搗いた餅は参拝者にお分かちします。また、今年の春に境内でとれた「梅」で梅酒を作ってみました。これもお分かちする予定です。(味は???)
和霊神社は脇を通る市道の拡幅工事のため平成16年に南に20mほど移転しました。覆屋を新しくし、痛んでいた社殿は修理されました。小さいながらも檜皮葺の立派なお社です。
「兼務社」ではないののですが・・・
和霊神社(われいじんじゃ)
鎮座地 倉敷市児島味野2丁目
御祭神 山家清兵衛公頼(やんべせいべいきみより)
由緒 山家清兵衛の父、清左衛門は仙台藩の家臣でした。清兵衛は幼時から神童の誉れ高く、長じては仁義忠孝に篤く、文武両道に通じた人でした。
有名な独眼竜、伊達政宗公の嫡男、伊達秀宗公は、伊豫国宇和島藩主として伊豫へ赴く事になりました。父政宗は清兵衛を後見人として随従させる事にしました。当時、宇和島藩は悪政が続き、世相は乱れ、領民も苦難にあえいでいました。秀宗は、清兵衛を家老に据え藩政を委ねます。清兵衛は租税改革を行い、産業を興し、民衆に経済力をつけさせて生活を安定させました。しかし、大坂城の工事等をめぐり藩内に敵対勢力が生まれ、元和6年(1620)刺客に襲われ、蚊帳の中で三人の子供共々42才の生涯を閉じました。彼の死後、対立派の人々が次々と変死したり、天変地異が起きるなど、人々は清兵衛の怨霊の仕業と恐れました。秀宗公は軽率に讒言を信じた自分の不明を自責され、寛永8年(1631)清兵衛の霊を和らげるため神社を創建しました。これが和霊神社です。
この味野の和霊神社は、清兵衛公の民衆を思う心を慕って瀬戸内各地に勧請されたうちの一社です。
和霊神社夏祭 毎年7月23日夕刻
大畠はそんなに大きな町ではありませんが、立派なだんじりを保存しています。このだんじりは秋祭りに町内を練り歩きます。
秋祭りには神輿の巡幸がありますが、ここでは神輿とだんじりがぶつかり合います。
2日間とも16時ぐらいから19時ぐらいまでがみどころです。
大畠の町を見下ろす場所に鎮座しています。
写真には写っていませんが、神社のすぐ後方で瀬戸中央自動車道とJR瀬戸大橋線が一緒になります。上が自動車、下が電車の四つ目トンネルを抜け下津井瀬戸大橋へと続き四国へ向かっています。
この度天神宮では、修理工事を行うことになりました。完成予定は平成19年です。趣意書は下記の通りです。
御鎮座六百年記念天神宮修理奉賛会趣意書
当天神宮は菅原道真公を御祭神とし、創建は応永14年(1407年)といわれております。岩崎(巌崎)五郎左衛門なる者が阿波国三好郡より菅原道真公の神霊を奉戴し舟で尾首坂(字疫神上)というところに着きました。そこに神霊をお祀りしましたが、その後文明4年(1472年)に現在の鎮座地に移したと伝えられ、橋本・城の氏子の皆様の篤い崇敬を受けておられますことは誠に喜ばしいことと存じます。
さて、当天神宮の現在の建物(御本殿・拝殿)は明治15年の再建、と伝えられております。拝殿の屋根瓦は10年ほど前に葺き替えましたが、御本殿の屋根銅板は昭和34年に葺き替えられたままでした。屋根に葺かれる銅板の寿命は約50年と言われ、各部のめくれ、折り曲げ部分の断裂が目立ち、一部雨漏りもするようになりました。また、隣接する社務所・神輿庫は屋根に穴があくなど痛みが激しく、使用不能の状況になりつつあり、再建が不可避の状況であります。
来る平成19年(2007年)は、天神宮がこの地に御鎮座になってから600年の慶節にあたります。この慶節を機として神社関係者協議の上、天神宮修理奉賛会を結成し、神社の尊厳護持のため左記の事業を行うこととなり、氏子崇敬者の皆様の御理解と御協力を特にお願い申し上げる次第であります。
尚、御協賛いただいた方の御芳名は神社境内に掲示、保存致します。
平成17年6月
記
事業の概要
総工費(募金額) 一、金 1,3000,000円也
事業内容 一、御本殿屋根銅板の葺き直し(屋根下地の修復を含む)
一、神輿庫の改築(建坪は同規模、平屋建てとします)
一、社務所建物の取り壊し(再建は致しません)
完成予定 平成19年 秋
田土浦坐神社(たつちのうらにましますじんじゃ)
鎮座地 倉敷市下津井田之浦1丁目15−30
御祭神 綿津見神(わたつみのかみ)
由緒 延喜式神名帳に田土浦坐神社名神小と記され、当国式内の旧社21社中の1社です。創建年代は不詳ですが、久しく明神(みょうじん)と称していたのを元文4年(1739)に田土浦坐神社と復称しました。創立時は壮大な社殿を有していたと伝えられます。
この地方では御祭神は「火が嫌いな神様」とされ、夏祭(例祭)に授与される「火除札」(ひよけのおふだ)は、火災予防の御神徳が特に高く、たくさんの方がこの御札を受けられます。
平成20年の夏祭は7月19日・20日です。
延喜式・神名帳(えんぎしき・じんみょうちょう)
律・令・格の施行細則を集成した法典。50巻。延長5年(927年)完成。施行は康保4年(967年)。このうち巻9・巻10を神名式と言い、当時の由緒ある神社2861社の名前が国別に記載してある。これらの神社を「式内社」(しきないしゃ)という。